今回は
「開運のまち小山で良質な眠りを手に入れてみませんか?」
について書いていきたいと思います。
当店は
栃木県小山市で東京西川プロショップ「かまや」を運営しております。
枕のお悩み、マットレスなどの寝具選びの相談なども承っております。
かまやでは、お客さまに快適な睡眠をお届けする眠りのスペシャリストが
心地よい眠りのための寝具選びをお手伝いしています。
豊富な品揃えとセミオーダーマットレス、オーダーメイド枕で
皆さまの眠りをサポートいたします。
さて、では始めましょう!
かまやのある小山市ってこんなところです
かまやは北関東の玄関口、小山駅からすぐの小山宿通り(旧日光街道)沿いにあります。近くには祇園祭で有名な須賀神社や、小山氏城跡の鷲城跡、祇園城跡があり、街中の便利さとしっとりとした歴史を感じられるエリアにあります。お祭りやイベントなども多く(ここ2年ほどは中止になったものも多いですが)、一年を通して楽しめる地域です。
開運のまちと言われるのはなぜ?
小山が開運のまちと呼ばれるのは、関ヶ原の戦いに先んじて行われた「小山評定」に由来しています。徳川家康が上杉景勝を討伐するために会津へ向かう途上、小山に本陣を置いた時、石田三成挙兵の知らせが入り、軍議を開きました。「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質したのが小山評定です。
家康に従う諸将のほとんどは大坂に妻子を残してきており、その去就が家康にとっては興亡の境目だったのです。尾張の福島正則、遠江国の山内一豊が家康に従うことを表明し、他の諸将も家康を支持する流れになりました。こうして家康率いる東軍は、石田三成討伐のため西上することに決し、関ヶ原で天下分け目の一大決戦が行われたのです。東軍に勝利をもたらしたのが小山評定だったことから小山は「開運のまち」と呼ばれるようになったのです。
交通の要衝として栄えた歴史
古代において小山は古代下野国の中枢部に位置しており、北部には県内最大規模の琵琶塚古墳や摩利支天塚古墳が残っています。鎌倉時代から戦国時代にかけては小山氏の本拠地として発展し、このことが「小山」という地名の由来と言われています。小山城跡である鷲城跡と祗園城周辺は、城下町の面影を感じることができます。江戸時代に入ると日光街道の宿場町の一つ小山宿として発展し、市内を南北に流れる思川は内陸水路として栄えました。
かまやのある小山宿通りは旧日光街道で、江戸日本橋から日光東照宮を結ぶ五街道の一つです。歴代将軍や諸大名はこの街道を歩いて日光東照宮へ向かっていたのです。当店が当時あったなら、小山宿でお休みになる将軍に最高の寝心地の寝具を提供したことでしょう!
四季折々の自然が美しい小山
市内中央には思川が流れ、自然を満喫できるレジャースポットも豊富です。春には小山市原産の思川桜が咲き、桜まつりやマラソン大会が催され、夏は花火大会で盛り上がります。秋は城山公園の紅葉が美しく色づきます。小山運動公園の水上アスレチックで汗をかいたら、思川温泉で汗を流し、夜はぐっすりお休みください。
かまやでは羽毛布団のプロ「羽毛ふとん診断士」、まくらのプロ「ピローアドバイザー」が在籍し、総合的な眠りのプロであるスリープマスターが皆さまの快眠を守る寝具選びをお手伝いしています。
睡眠のお悩みなどお気軽にご相談ください。